
長福寺 は長明山観音院と号する真言宗智山派の密教寺院である。その所有地について下丸子平川家所蔵の古文書中、慶長期(1596〜1615)の検地張に記録が残っているという。また大日本地誌「新編武蔵風土記稿」に依れば、新義真言宗西明寺末寺で長明山と号し、歴代住職墓中には元禄10年(1697)示寂した範宗和尚の墓もあるが開山年歴不明である。寺伝に依れば、最明寺時頼の草創といわれる本寺・西明寺と同じ鎌倉時代初期頃(1192〜)に創建、本尊白衣観世音は村人からの信仰厚く、観音信仰祈願所であったという。 | |
長福寺境内緑に囲まれた参道途中にはお地蔵さまが並び、正面に本堂、右に庫裡と書院、左に寺務所が建っている。また本堂裏手には墓地が広がっており、右隣には葬儀会場「長明閣」が佇む。 | ![]() |
真言宗智山派とは 真言宗は空海(弘法大師)により開かれました。高野山を研学修行の道場とし、教王護国寺を秘法厳修の根本道場と定めて、その教風を宣揚し、承和2年高野山に入定しました。 後に覚鑁上人が高野山に大伝法院・密厳院を建立し教学の振興を図りました。しかし、金剛峰寺と相容れず、根来へ下りました。根来山も隆盛を期しましたが、豊臣秀吉により攻められ、時の智積院玄宥は難をのがれ洛東に寄り、徳川家康の外護を得て智積院を再興しました。以来多くの名僧を輩出し、学山の名を高くしました。 同じ根来学派の豊山学派(総本山 長谷寺)とともに真言宗新義派と称し、ついで智山と豊山両学山に分かれて新義真言宗智山派、新義真言宗豊山派と公称しそれぞれ独立しました。 さらに昭和26年に宗教法人法が公布されるに及んで「真言宗智山派」と公称し信仰培養の根本道場として現在に至ってます。 |
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| 長福寺長明閣 設計にデザイナーが携わった近代的葬儀会館である。デザイン性が高いうえに使い勝手もよく、家族葬や一般葬に適している。交通に関しては駐車場を完備し、また駅から徒歩3分との好条件なので利用しやすい環境である。 | ![]() |
長福寺長明閣の設備内容 多摩川のほとりの閑静な住宅街にある寺院の葬儀会館です。 近代的な建物で、建物内での受付が可能で、天候によって会葬者の方が不都合を感じることはありませんので、安心してご利用いただけます。 式場内着席人数:推奨30〜40人(小式場30名、大式場60名) 貸し切り型、音響設備あり、駐車場あり 対応不可能宗派:八宗以外 | |
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